韓国済州島の4・3事件をわかりやすく解説します

韓国MBCのテレビ番組「선을 넘는 녀석들」で済州島の4・3事件が実にわかりやすく解説されていたのでご紹介します。
私はこの番組を見るまで、この事件についてよく知りませんでした。
イメージ写真を通して、できるだけわかりやすく解説したいと思います。
72年前、済州島の海は真っ赤だった
‘선을 넘는 녀석들-한반도 편’의 한 장면 ⓒMBC
済州島の人気スポット、正房瀑布(チョンバンポッポ)。
この滝は4・3事件(サー・サンサコン)の虐殺場でした。
この海が真っ赤になるほどの事件がちょうど72年前に起こったのです。
混乱の時代
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この事件は1945年8月15日光復(日本では終戦)から語らなければなりません。
光復後、韓国は混乱の時期を迎えます。
戦争が終わったものの、相変わらず警察は「親日派警察」のままでした。
アメリカ軍がこの「親日派警察」を処罰するかと思いきや、そのまま警察として残したのです。
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そして「親日派警察」は「親米派警察」となり、国民にとっては相変わらず「親日警察」が権力を振るっているような状態でした。
3・1節記念行事からその事件ははじまった
1947年3月1日済州島で3・1節記念行事がありました。
警察は混乱がないよう、馬に乗って巡回をしていました。
‘선을 넘는 녀석들-한반도 편’의 한 장면 ⓒMBC
その時、6歳くらいの子がその馬に飛び出して引かれてしまいました。
小さい子供が引かれたら、大丈夫かと馬から降りて助けるのが普通ですが、警察はそのまま通り去ったのです。
それを見た済州島民が「謝らないのか!」と怒り出しました。
やがてそれは大きな声となり、済州島民は警察に謝罪を求め暴動が起こったのです。
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それを抑えるために、警察は銃で撃ち始めます。
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それによって、島民6名が死亡、そのうち1人は全く暴動と関係ない赤ちゃんを連れたお母さんでした。
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島民の怒りが爆発した
これに済州島民が黙っていられるでしょうか。
島民が警察に謝罪を求め、良心のある島民出身の警察も含む、島民95%が参加するストライキを起こします。
この間、済州島警察の空いた穴を埋めるため、また事態を鎮圧するため、本土から警察が派遣されます。
これを「応援警察」と言います。
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本土から来た警察
島民はそうでなくても警察を怖く思っているのに、この応援警察は更に怖い拷問や暴行、射殺を行うのです。
それはまるで島民全員をすべてなくしてしまうかのような勢いだったと言います。
1947年の3.1節記念行事から1年後、2,500名が検束、死者は3万名。
済州島民の10人に1人は命を落としました。
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アンさんの証言
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当時13歳だったアン・インへン(안인행)さんの証言が残っています。
当時、7歳4歳の弟と妹、お母さんと住んでいました。
警察がいきなり家に来て、家族を連れて行きました。
弟と妹はまだ幼いから逃がしてもらったものの、私と母はどこかに連れて行かれました。
そこには大勢の人がいて、警察はいっきに銃でみんなを連射したのです。
その時、お母さんは思わずアンさんを抱きかかえました。
お母さんに抱きかかえてもらいながら、アンさんはお母さんの背中に銃が打たれたことを感じました。
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これは済州等の4.3平和公園の「 비설(飛雪)」という銅像です。
韓国人でもこの事件をよく知らない人は多い
「순이삼촌(順伊三寸)」という小説を通じて多くの人がこの事件を知るようになりました。
현기영(玄基榮)による小説
そもそも人によってこの事件の呼び方が違うのです。
4・3事件を公共の電波を通じで伝えることができたのは最近になってからのことです。
済州島に行った時はぜひ、この歴史にも触れてみてください。